ファインダーは追憶の小窓

写真が好き。だれでも気になる小さなことや奥深いこと。そんなことを皆さんと一緒に考えて写真について深めてみたいと思います。

寄れるレンズ。

ずいぶん以前、あるデジタルカメラを買うにあたって、ネットでいろいろとレビュー記事なんかを調べていて気になったことが。
すると「Leica X1に搭載されているエルマリート24mmF2.8は寄れないのがタマにキズ」
というコメントが複数の記事に。

確かにこのレンズ、マクロモードにしても30cmが最短撮影距離。
GR Digitalやいまのコンデジなんか、マクロモードにしたらもうレンズが被写体にくっ付くんじゃないかっていうくらいに寄れます。
それから比べると30cmという最短撮影距離は確かに貧弱か。。。

でも考えてみれば、なぜそんなに寄る必要があるの?

昨今では、どんなレンズでも「寄れるか寄れないか」という最短撮影距離は多くのユーザーが意識してるようです。
で、自分勝手に「なぜそこの性能をこれほどまでに皆さん意識するのか」を類推してみたんですが、おそらくこうではないかと思ったりするのです。

『寄って開放で撮れば背景を簡単にぼかせられるから』

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EF40mmF2.8STMで最短距離撮影


もちろん被写体との距離(ピントの位置)が近いほど被写界深度は浅くなって背景はぼけていきます。
でも近接撮影が目的ならば、単純にマクロレンズを使えばいいんだと思います。

なにもかものレンズで「寄れる」ことが重要視されるのはどうなのかなぁとは思うんですね。


とはいえ、1本のレンズでいろいろできれば、確かに便利だと思います。

たとえば、SNSに料理写真などをアップする場合なんかは寄れるコンデジがあればすごく便利ですよね。

ただ、花の撮影などで本格的に寄った写真を撮影する場合は、やっぱりマクロレンズを使って一眼レフなどでの撮影がオススメです。

一方、レンジファインダーの場合、50mm標準レンズでだいたい最短撮影距離は1mくらい。
普通の一眼レフ用の50mmレンズでも50cmくらいでしょうか。
でも、こういう“寄れないという不便”を乗り越えて、作者がどうモチーフに向き合うか。
この工夫が撮影技術を向上させるということは間違いない事実だと思います。
逆に言うと、寄れない分、被写体との距離感をどう上手く表現し画としてまとめるか。
そこが作者の腕の見せ所だと思うんですが。。。


「寄れるレンズ」が重宝されるということ。
それが今の時代を象徴しているような気がします。

 

                 

ライカ M3

 

 

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渋谷にて

           

 
イカはライカ
機材にあまりこだわりがなくなってきた今でも、ライカは特別なカメラの一つです。
 
昔は「ライカ一台、家一軒」と言われたそうで、相当高価なカメラでした。
そんな超高価なカメラが、いまでは中古で僕のような普通のおじさんでも入手できるようになったことは幸せな事だと思います。
で、やっぱりM型ライカ、特にその中でもM3はとってもとっても素敵なカメラです。
そんなこと、何も今さら、ましてや僕のような分際で申し上げるまでも無いのですが…

バルナックライカの完成形といわれるⅢfを入手したときも、ある種の感慨はありました。
けれどM3は、手にしたときよりも実際に使って分かる良さがあるんですね。
こんな僕でも使うにつれ「これはいいなぁ」とジンワリ思うのですから、さすがは木村伊兵衛アンリ・カルティエ=ブレッソンに代表される古今東西の名フォトグラファーを魅了してきた名機だけあると思います。
確かにM3であろうが、LOMO LC-Aであろうが、「写るんです」であろうが、チャンと写真は撮れます。
なにもM3でなければいい写真が撮れないというわけではないのです。
ただ、過去から誰もがこのカメラを賛辞してきたことの繰り返しですが、ほぼ等倍で明るく見やすいファインダー、それに起因するピント合わせのしやすさ、適度な重量感、洗練された操作感、最後になんと言ってもあのシャッターフィーリングは、他のカメラでは味わえない悦の世界にいざなってくれます。
要するにM3というカメラは、カメラの基本動作である ①ファインダーを覗く ②ピントを合わせる ③シャッターを切る ④巻き上げレバーを巻き上げる という一連の動きすべてが洗練されているのですね。
これは、同じライカでもバルナックや他のM型では味わえないものですし、少なくとも僕が所有しているカメラたちには無いフィーリングです。
写真を撮ることと同時にカメラを触る愉しみというものを味わえる数少ないカメラなのだと思います。
ということで、こんな僕でも今まで数々の先輩や知人が「ライカを買うならM3が一番」とおっしゃっていた理由が徐々に分かってきた気がしています。

            

                                                           Leica M3


イカ自体非常に有名なので、たいていの方は名前くらいは知っておられると思いますが、ここからは「ライカって結局なんじゃらホイ」という方へ、カメラ史においてエポックメイキングな存在であるM3について些少な知識で少しご紹介したいと思います。

以前のコラムで書いたと思いますが、今では最もポピュラーなフィルムサイズである“35mm判”のカメラを開発したのはライツ社なんです。
その当時のカメラはガラス乾板を使用するような大型カメラだったのですが、ライツ社の著名な技術者であるオスカー・バルナックという人が、映画用の35mmフィルムをスチルカメラに転用できないかと考えたんですね。
それが、1914年に試作した「ウル・ライカ」というカメラで、当時としては画期的な小型カメラに仕上がりました。
これがいわゆる『バルナック型ライカ』の原型でして、最終型のⅢgまで続きます。
M3は、このバルナック型ライカを超える新しいレンジファインダーカメラとして1954年に登場した、当時の最先端を行くカメラでした。
バルナック型からの改良点は、
①巻き上げをレバーにし、裏蓋が開くようになりフィルムが入れやすくなった。
(注;フィルムカメラでは超スタンダードな巻き上げレバーの機能ですが、M3で一気にスタンダードに)
②自動リセットのフィルムカウンターが付き、レンズがワンタッチで装着できるようバヨネット方式になった。
(注;バルナック型のLマウントはネジのようにまわしてレンズをはめ込んでいた)
③距離計とビューファインダーが一体型となった。
(注;バルナック型では距離計用ファインダーと撮影用ファインダーが分かれていた)
ファインダーについてはM3の特に優れている部分で、0.91倍で見た目とほぼ同じ像が映し出されますし、虚像と実像の境がはっきりと分かるのでバルナックまでのぼやけた測距部より高い精度が得られます。
極めて精度の高いいくつもの部品によって構成された工芸品のようなカメラを、職人技で組みたてて販売したのですから、M3はコスト度外視だったとも言われています。 


このようにレンジファインダーカメラの新しいスタンダードを一気に確立させたM3の登場で、それまで『ライカに追いつけ、追い越せ』と日夜奮闘していた日本のカメラメーカーはレンジファインダーの開発をあきらめ、主力を一眼レフカメラの開発へ移行してしまいました。
しかし、それが奇しくも現在まで続く一眼レフカメラのトレンドを生み出し、ライカはそのトレンドに乗り遅れてしまいました。
しかも、M3の後継機はフィルムカメラとしてはM7まで続きましたが、結局、今でも「M型ライカの王様はM3」と言われるように、自社内でもM3を超えることができませんでした。
このように、M3はあまりの完成度の高さゆえに、ライツ社(その後ライカ社)自身の首を絞めてしまったとも言われているのです。



とはいえ、どんなにいいカメラやレンズであろうが、撮るのは自分自身です。
これからも名機に弄ばれつつじっくりとさっぱりと写真を楽しんでいこうと思っています。

 

 

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散歩写真

僕の写真は、ほぼすべて“散歩写真”です。
カッコよく言うとストリートスナップかもしれませんが、基本的には“散歩写真”だと思っています。

以前は、たまには三脚なんか持ち出して夕陽の落ちる江の島を狙いに行ったり、平塚のさる丘の上から陽の落ちた湘南海岸の美しい曲線を撮ったり、基本的には風景撮りが多かったように思います。
でも、そういうのって、いつか飽きるんですね。

風景写真って、それはそれで撮っていて楽しいのですが、やっぱりどうしても以前何処かで見た写真をイメージして撮ってしまうことが多く、ややもすると「絵葉書写真」になってしまう。

その点、外に出て散歩しながら街の情景をサッとスナップすると、計算では撮れない写真が撮れるからおもしろい。


ということなので、好んで使うカメラもだいたい小型のものになってきます。
デジタルだとGR DIGITALⅢとか、フィルムでは、Leica M3、GR1s、CONTAX T2などなどです。
でかくて重いEOS 5DMarkⅢとかEOS-1Nなんか、最近はほとんど使わなくなりました。

しかも今はiPhone Xでスナップということが多くなってもきたので、カメラ自体をあまり持ち歩かなくなってきました。(ただ、iPhoneは速写性に劣るのが唯一の弱点ですが)

 

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浅草にて(iPhoneXにて撮影)


その散歩写真ですが、サッと撮るだけとはいうものの、案外勉強になると思います。
特に良いのは、被写体を見つけるセンスを向上させる訓練になること。
近所や通勤途中の光景なんて、まず普通は見過ごしているものばかりですよね。
それが、違った目で見ると宝の山だったりするわけです。
名所旧跡や風光明媚なところで撮る写真はキレイで当たり前。
ご近所写真で何をどう表現するか、っていう方が楽しいですね。

僕は結構早撮りだと自分で思っているんですが、見た情景を見たまんまにフレーミングして撮ってるんですね。
ファインダー覗いて「うーん」と唸ったりしない。
「あっ」と思ったらパッと撮る。
だから、ノッてる時なんか36枚撮りフィルムを1時間くらいで撮り切ってしまう。
まぁ、森山大道なんて電柱から電柱の間でもう1本くらい撮ってそうですから、僕のテンポが本当の早撮りになるとは思えませんが、とにかくフィルムでもそれくらいのペースで撮っている。
だから、要するに“あまり考えずに撮っている”ということなんですよね。

まだこれからも散歩写真で楽しむと思います。
とにかく通勤途上や自宅近くでの撮影がほとんどのため、ワンパターンなモチーフになることもしばしばですが、できるだけその日その時の感覚を幅広く持って、いろんなアプローチの写真を撮りたいと思っています。

           

             最強のスナップシューター「GR」

 

       

独り言(その2:フルサイズ)

つれづれに思うことの続きです。

今回は、デジタルカメラで言うところの“フルサイズ”について感じていること。
ただ、僕はデジタルな技術論や知識についてはほとんど持ち合わせていませんので、別のアプローチから“フルサイズ”について考えていることを独り言ちたいと思います。

自分もEOS 5DMarkⅢといういわゆる“フルサイズ”機を持っていますが、いまではミラーレス機でも“フルサイズ”が席巻しているように思います。
巷でも「フルサイズが欲しい」とか「いつかはフルサイズ」という方も多いですよね。
欲しい理由もさまざまで、「解像度が優れているから」という多数派意見から、「フルサイズの方がボケ量が多いから(なんじゃそりゃ・・・)」「フルサイズの方がよく写るから(観念論…)」など人それぞれです。
ちなみに僕が5DMarkⅢを買った理由は単純そのもので、「50mmレンズを50mmの画角で使いたいから」なんですね。
それまでAPS-C機を使ってたんですが、どうも画角に違和感があって使い辛かったんです。

で、フルサイズ機だととてもスッキリと写真が撮れるようになったんですが、これも好みの問題ですね。
あと、買った当初は2100万画素の描写にビックリしたものですが、今では時代が進んだせいか自分が変わったせいか、あまりどうでもよくなっています(笑


ところで“フルサイズ”って言いますが、なにがフルサイズなんでしょうか?
フルサイズっていうと、イメージ的に「大きい」って感じがしますよね。
まあ35mm判フィルムと同じセンサーサイズだからなんでしょうが、じゃあ「35mm判」って“フルのサイズ”なんでしょうか?


これも以前から申し上げていることなんですが、カメラの歴史から見て35mm判フィルムっていうのはフルサイズ(=大きいサイズ)ではなく、そもそもは小型カメラ用のフィルムなんです。
昔々は、写真を撮るのにガラス乾判なんか使って、とても大きいカメラを担いでいたんですね。
分かりやすく申し上げると、明治とか大正が舞台のドラマなんかで、写真館でおやじさんがカメラの幕に潜り込んで「はい、動かないでくださいねー…(ボン!)」なんていうシロモノと思って頂くといいかと思います。
で、これじゃあ持ち運びに不便だということで、ライツ社の天才技師オスカー・バルナックが1914年に35mm映画用フィルムを使って作った小型カメラが「ウル・ライカ」で、これがバルナック・ライカの原型になり、その後35mm判フィルムはライカをはじめ世界のカメラのスタンダードになったんですね。
(このことから、今でも35mm判フィルムのことを「ライカ判」ともいいますね)



…と考えると、「35mm判=フルサイズ」とはまったく言いがたいわけです。
なんで小型カメラ用のフィルムサイズのことを“フルサイズ”なんて言うのかなぁと単純に思うんですね。
カメラの歴史をご存じなかったユーザーからすれば、もしかするとこのことは青天の霹靂かもしれないなぁ、なんて思ったりもするんです。
どうもメーカーが「『35mm判センサー』なんて野暮な呼称はよして『フルサイズ』って言ったほうがカッコいいし売れるぞぉ」なんて考えたんじゃないかなぁと勘繰ったりするんですが、その辺はどうなんでしょうね…?(笑)

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Untitled(Rolleiflexにて撮影)


いずれにしても、カメラ雑誌や薄っぺらいライターの記事に踊らされて“フルサイズ神話”を妄信することなく、ユーザーそれぞれが自分の使い方に合ったセンサーサイズ(デジタルカメラ)の選び方をすればいいのではないかと思っています。
ある有名サイトで見かける「フルサイズの方が解像度が優れているんだぞ!」という極端なスペック至上主義の方は、むしろフィルムの中判や大判カメラを使った方が絶対にいいのです。
そういう方がどうしてもデジタルにこだわるなら中判デジタルカメラを買えばいい。
ボケを期待する人もおんなじです。
センサー(フィルム)サイズが大きいほど、小サイズのセンサーと同じ画角で撮るなら当然に被写界深度は浅くなるし、しかも許容錯乱円が大きくなる分、さらに被写界深度に影響するわけですから。


逆に「自分は鳥とか飛行機撮るからAPS-Cの方が便利なんだ」とか「カメラはいつも持ち歩くことを優先するからコンデジがいいんだ」なんていう選択の方がよほど正しい選択方法だと思います。
現にプロフォトグラファーはそういう観点でカメラを選択していますね。
例えば画像の解像感を優先する風景写真家などは、いまだにフィルムの中判カメラを使っている人が多いそうですもの。

まぁ、自分自身も道具に振り回されないように、今回も自戒の念を込めつつ…

  

     

独り言(玉ボケ写真)

なんだかなぁ…と思っていることをつれづれに。。。
 
いわゆる「玉ボケ」写真について。
自分も玉ボケ写真を撮らないとは言いませんが、中にはそんなのばかりというパターンもあります。
それも年間通して…
以前から申し上げていますが、「玉ボケ」なんて開放絞りにすれば誰だって撮れます。
初めて一眼レフカメラを手にした方が玉ボケ写真を撮って感激する気持ちはよく分かります。
でも、ずっとボケ写真、それも玉ボケばかりでは進歩が無いわけです。

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Untitled

スナップの場合、基本的なF値はF8とよく言われます。
これは被写界深度をきちんと取った絞り値だからです。
35mmレンズだと、F8で3mにピントを合わせておけば、手前1.5mくらいから∞までピントが合った状態になります。
そうすればピント合わせの必要もほぼ無くなるわけで、あとはその時のEV値に合わせたシャッター速度にしておけば、シャッターチャンスと構図に意識を集中できるわけです。
また、パンフォーカスで構図を整えるということは案外難しいもので、こういうことを訓練していくと、おのずと撮影術も上達していきます。
この時、使用するレンズはやはり基本的には28mm~50mmの単焦点(もしくはズームでもこの焦点距離とする)で、自分の足で構図を整えることは当然ですが、自分の眼で情景をまずフレーミングすることが大切なことだと思います。
また、近中距離で無用に望遠ズームを使ってしまうと、小手先の画づくりになってしまいがちだと思っています。

いずれにしても、過去からの名作写真の中で「玉ボケ写真」は無いわけで、そのことからも本当のフォトグラファーがそんなものを狙っていないことがよく分かると思います。
ボケ写真自体をまったくダメだとは思いませんが、あくまでも表現方法の一つと心得るべきではないでしょうか。


また次の機会に「なんだかなぁ…」と思っていることを書いてみたいと思います。

 

     

単焦点レンズでの撮影のキモ。

ずいぶん以前ですが、ユニクロのCMでプラウベル・マキナを首からぶら下げた石川直樹氏がこんなこと言っていたのを覚えています。


『僕は蛇腹の古いカメラしか持ってないし、 それしか持っていかない。 寄った写真が撮りたかったら歩いて寄るし、 引いた写真が撮りたかったら歩いて引く』

 

ご存知の通り、これは単焦点レンズで撮影する際のセオリーなのですが、なるほどけだし名言だと思います。

僕はどちらかというと単焦点レンズをメインに使っています。
50mmクラスのオールドレンズだと最短撮影距離が1mというのもザラにあって、寄るにしても限界がありますし、逆に28mmや35mmでスナップする時は遠くの被写体をあきらめることもあります。
(ちなみに石川氏愛用のプラウベル・マキナ67の最短撮影距離も1mで、広角バージョンのW67で0.5mです)

 

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銀座にて

でも、それでいいんと思います。
撮れる範囲で工夫すれば。
ズームにはズームの便利さがありますが、シンプルな単焦点で工夫して撮った一枚にはそれだけの想いが入っていると思うんですね。

 

などと、あのCMの石川直樹氏の言葉を思い出して改めて納得する今日この頃です。

 

    

Planar(プラナー)というレンズ。

Planarというレンズをお聞きになったことがある方も多いかと思いますが、このレンズは特に日本では最も人気の高いレンズの一つだと思います。
そこで、受け売りな部分もありますがPlanarについて少々お話してみたいと思います。


そもそもCarl Zeiss社でPlanarが発明されたのは1896年のこと。
数学教師を目指しつつZeiss社に入社した数学者であるパウル・ルドルフがその発明者です。
単純なダブルガウスタイプをベースに、三日月形の凹レンズを2枚組み合わせることで、像面湾曲を平坦にすると同時に大口径化を容易にしたのがPlanarでした。
ちなみに「Planar」という名称は「平面(平坦)」という意味から由来しているそうです。

                                     

                                          Planar T* 50mm F2 ZM(ライカM用)

 

実に今から100年あまりも前に発明されていたPlanarですが、レンズ枚数の多さに伴う反射面の多さから当時の技術では内面反射によるフレアの発生を抑えきることが困難だったために、優れたポテンシャルを持ちながらもZeiss社内ではほとんど製品化されることはありませんでした。
むしろ1930年代にレンズの大口径化をZeissと競っていた(というよりもZeissに振り放されないようにしていた)Leitz社によってSummarやSummitarといったPlanarに似たダブルガウスタイプのレンズが発売されていました。
この頃は、Leitzはまだまだ技術面でZeissのレベルには及ばず、むしろ技術的に優位だったZeissとしてはシャープな描写で安定した性能を有したSonnarをF2やF1.5と大口径化する選択肢を選んでいたのです。
まぁ逆に言うと、Leitzは大口径化の難しいSonnarやTessarタイプのレンズよりも、大口径化しやすいPlanarタイプを選ぶという、ある意味では“安直”な方法を選ばざるを得なかったわけです。

その後、レンズ製造技術が進歩すると同時にレンズ設計にも電算機が取り入れられるようになった第二次大戦後以降、PlanarはRolleiflex 2.8Cに搭載され、再びこの世に登場することになります。
そして、HasselbladにもPlanar80mmF2.8が採用されるに至り、ついにPlanarが本格的に名レンズとして様々なマウントで人気を博するようになりました。


特に日本でPlanar人気が高いのは、甘美な描写が日本人の美的感覚にマッチしているためではないかと自分なりに想像しています。
SonnarやTessarも素晴らしいレンズですが、Planarと比較すると基本的にはシャープですしコントラストも高い。
欧米でむしろTessarタイプのレンズの方が人気があるのは、やはり国民性の違いに起因する美的感覚の違いではないかと思うのです。
また、例えばRolleiflex(D~F型)ではPlanar搭載モデルとXenotar搭載モデルがあります。
いずれもダブルガウスの派生型レンズではあるものの、Planarよりもシャープな写りのXenotarの方が欧米では好まれているのもやはり感覚の違いの現れでしょう。

日本においてPlanarの名声を一気に高めたのは、CONTAXヤシコン)のPlanar T*85mm F1.4の存在が大きいと思います。
今でも、Planarといえば85mmF1.4を連想される方が多いくらいです。
最高のポートレートレンズとして多くのフォトグラファーに愛用されたこの名玉は、現在でもCONTAX時代とほぼ同様のレンズ構成でコシナから発売されていますし、EOSユーザーであればマウントアダプターをかませてそのまま楽しむことも可能です。

                                              

                                                       Planar T* 85mm F1.4 ZE(キヤノンEF用)

 

あくまでも個人的な印象ですが、自分が今まで使った中で好んでいるのがCONTAX Gマウントの45mmF2。
このレンズは現代の設計によるPlanarではありますが、レンズ構成は“オリジナル”に非常に近い。
また、開放値も必要以上に欲張っていないこと(=設計に無理がない)もあってか、とても素直かつ柔らかな描写が楽しめます。

また、このレンズは現代のミラーレスカメラだとマウントアダプターを使って使用できるため、中古で程度の良いものを探して撮影を楽しむこともできます。

                                         

                                                           CONTAX Planar T*45mm F2(G)


ちなみに、僕自身はいわゆる“Planar信奉者”ではありません。
ただEFマウントのPlanar50mmF1.4を購入した後に、その時持っていたEF50mmF1.2USMの写りが面白くなくなって売却してしまったことからも、その写りには感服しているという自覚はあります。
なんとなく人気が一人歩きしているような感もあるレンズではありますが、その実力は折り紙つき。
Carl Zeiss社の高い技術力を誇るレンズの一つとして、これからもPlanarの存在感が薄れることはないでしょう。