ファインダーは追憶の小窓

写真が好き。だれでも気になる小さなことや奥深いこと。そんなことを皆さんと一緒に考えて写真について深めてみたいと思います。

だれもが写真を美しく撮れる時代。

ある写真仲間との会話。

「今のカメラはフルオートでだれでもそれなりの写真が撮れるよねぇ」
「そうそう、露出なんて知らなくても全然関係ないもんねー」
コンデジなんかじゃ、ニッコリ笑ったタイミングで自動的にシャッター切れたりするもん。もう撮影者なんていらないかもね」
「そうかぁ…。 最後に残る撮影者の領域とは『構図』かも・・・」


というわけで、またもや独言。

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世田谷線にて

フィルムカメラの時代の話しですが、1985年のMINOLTA α-7000の登場はショッキングでした。
それまでも一眼レフカメラでAFシステムはあったんですが、AFが使えるのはごく一部の専用レンズに限られていたり大きくて重いものであって、試作的意味合いが強かったんです。
そんな中、MINOLTAはレンズシステム自体を一新し、フルオートフォーカスとしての一眼レフシステムを構築したのがα-7000だったのです。
まだ平凡なユーザーだった僕(今ほどハマッてなかった)ですら、その後継機であるα-7700iを買ったんですから、αのインパクトと反響は凄かった記憶があります。
今思えば、α-7000以降、一眼レフカメラも一気にフルオートの時代に突入していったと思います。

で、現在。

単なるAF・AEだった時代からフルオートも内容がさらに進歩し、例えばキヤノンコンデジでは22シーンを自動識別してカメラが最も適切と判断する露出・色合い・ピントを制御するプログラムまで組み込まれています。
うちの家内用に買ったコンデジでもこのような機能が搭載されていますが、カメラの知識なんか知らない人でも、まず失敗無く写真が撮れてしまうんですよ。
しかも手振れ補正まで付いてますし。
で、フルマニュアルのフィルムカメラで僕が露出失敗したコマなんかと比較されて、
「ほらー、あんたの写真よりも私の方が上手いんじゃない!?」
なんてニヤリとされたりするんです…
しかも、最近はiPhoneなんかでもサクサク取ることができますし。
ただ、このようにフルオートの技術が進むということは、先の友人曰くの「ユーザビリティの低いカメラという道具」の敷居がほぼ無くなり、誰でも気軽に失敗無く写真が撮れるということですから、これはこれで素晴らしいことだと思います。
 
  最強のコンパクトカメラのひとつ。はっきり言ってこれ一台で望遠以外のほとんどの撮影が可能。
 

そうは言っても、「絞りはこうだ!」「シャッタースピードはこれ!」「ピント位置はここ!」「手振れしないように脇を締めて!!」「三脚はここに立てるんだ!」なんてカメラと格闘しながら撮った中から「これだ!」と思う数コマを選んでほくそ笑んでいるようなハイアマからすれば、単にシャッター押すだけでいい写真が撮れてしまうなんて冒涜行為にさえ思えたりするもので…(笑)


ということで、冒頭の自虐的会話なわけです。。。


もちろんある程度の知識を持って写真を撮っておられる方々は、絞り優先モードやシャッター速度優先モードを積極的に使ったり、プログラムモードでもプログラムシフトや露出補正などを駆使して撮っておられる方が大半だと思います。
その反面、この前5DMarkⅢを家内にちょっと貸して数コマ撮らせてみたら、露出的にはまったく問題ない写真を撮ってみせるんです …もちろん、カメラが演算してるんですが…
もう、単に普通に撮る分には、露出のイロハを知ってようがいまいが、スキルの差は無くなっちゃってきてるんですよね(笑)

やはり、撮影者の意図として最後に残っているのは構図かもしれません。
構図は撮影者の意図が強く浮き出る部分ですから。
あ、色をどう扱うかという要素も、撮影者の最後の領域として残っているのかもしれませんね。
(広義の意味での構図かもしれませんが…)


ま、今回は“笑い話”ということで・・・w