ファインダーは追憶の小窓

写真が好き。だれでも気になる小さなことや奥深いこと。そんなことを皆さんと一緒に考えて写真について深めてみたいと思います。

写真が好きか、機材が好きか?

                  

 
「写真は見られるべきものだ。語られるものではない」
前回に続いてこれもエリオット・アーウィットの言葉。
写真の共有サイトに作品をアップすると、「いいカメラですね」とか「このレンズは素敵な描写ですね」とか、果ては「きれいなボケですね」なんていうコメントが入ることがあります。
カメラやレンズはあくまでも道具ですから、自分の道具を褒められて悪い気はしないけれど、やっぱり作品を観て欲しい。
ましてボケを褒められてもなんにもうれしくはありません。

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有楽町にて
たとえば、作家の描いた絵画を観て「これは素晴らしい絵具ですね」とか「この筆はすごいですね」なんていう人はまずいないと思います。
Facebookの写真グループのなかでカメラのメーカーや機種などにカテゴライズされているところでは、カメラ名やレンズ名を書かなきゃいけないというルールがあります。
さらに、投稿される方によっては撮った写真のExif情報に近いものを書かれていることもある。
それらの情報は、ある人には有益だとは思うけど、そういう情報に引っ張られると肝心の作品を鑑賞する邪魔になってしまう。
写真を趣味にする人は大きく二つに分類されて、ひとつは写真そのものを楽しむタイプで、もうひとつは主に機材を愛でるタイプだと感じています。
私も機材は好きですし、いろんなカメラを使ってきたなかで、いまはFUJIFILMのカメラが一番使いやすくて気に入っていますが、本質的には写真そのものをを愛したい。
そういう意味も含めて、アーウィットの言葉は端的に写真の真髄を語っていると思っています。
ユーモアとウィットの中に人間愛を感じるエリオット・アーウィットの作品を鑑賞すると、この言葉の意味が伝わってくる気がします。