デジタルかフィルムか。
今回はデジタルとフィルムについて僕なりの考えをつらつらとお話ししたいと思います。
皆さんご存知の通り、写真はもともとフィルムで撮られていました。
撮ったフィルムを現像し、それをプリントして写真にするという時代が長く続きましたが、この20年くらいでデジタルカメラが徐々に増え始め、いまではデジタルカメラで撮ってパソコンで現像し、家庭や個人においてはそれをパソコンで観るというのが主流になっています。
フィルムはいわゆるアナログなので、ネガに焼き付けた画像を薬品で現像していきます。
一方、デジタルカメラはセンサーに画像を記録し、それをパソコンで仕上げていきます。
なので、その過程の違いは画像そのものにも決定的に出てきます。
フィルムで撮った写真とデジタルで撮った写真は一目で違いがわかりますが、フィルムの場合はマイルドな描写になりますし、デジタルだとシャープな画になります。
もちろん、これは一般的な話で、フィルムでもネガよりリバーサルの方がデジタルに近いくらいのシャープさで写りますし、デジタルでも現像の際にシャープネスを落としたりすることで柔らかい画にすることはできます。
ただ、デジタルカメラは黎明期から基本的にメーカー同士の画素数競争が続いていて(最近はもう限界にきているようですが…)、画素数が上がるほど精緻な写真を撮れるようになってきています。
そのため、ただでさえシャープなデジタル写真がさらにシャープになったような印象があります。
また、このようなデジタルカメラの進歩に合わせてレンズの方もシャープな描写を求めるようになり、さらにさらに精緻すぎるほどの写真が主流になってきたと思います。
その結果、日本のユーザーのようにデジタルカメラと新型レンズのスペックに執着することが多くなったり、写真を“等倍鑑賞”して画質やレンズ性能を愛でるような方々が増えてきました。
このような写真鑑賞の方法そのものを否定はしませんが、本来の写真そのものが持つメッセージや撮影者の表現を汲み取ることをしないような鑑賞方法を僕はしようと思いませんし、ある意味では邪道だと思っています。
少し話が逸れましたが、要はデジタルカメラで撮った写真は、僕は「写りすぎる」と思うのです。
むしろフィルム、それもネガフィルムで撮った写真は輪郭の甘さの中に余韻を感じられて、その余韻の中に観る者の想像の余地がある。
それが写真を鑑賞する楽しみの大きな要因の一つだと思うんですね。
なので、 デジタルカメラはレンズとセットになって「よく写る」ことを追求するがあまり、写真の持つ本質的なメッセージ性を削いでしまったように感じることがあります。
もちろん、よく写ることは悪いことではありませんし、デジタルカメラの利便性はフィルムカメラとは比べ物にならない点が多々あります。
僕も今ではフィルムカメラは防湿庫の肥やしになっていますし、デジタルカメラでばかり写真を撮っています。(特にiPhone。笑)
でも、やっぱりフィルム写真の持つ温かみはデジタルでは得がたいと今でも思っています。
もしもこのコラムを読んで、フィルムカメラを撮ってみたいなぁと思われた方は、写ルンですのようなカメラで試してみるのはいかがでしょうか?
そして、それを現像してプリントした時にはデジタルに見慣れた方は新しい感覚で写真を鑑賞できると思います。
ご年配の方で昔フィルムカメラを使っておられた方はなおさら郷愁をそそられるかもしれませんよ。