トリミングって使う?使わない?
ちょっとサボってまして、ひさしぶりの記事アップとなります。
今回は、トリミングってどうなの?ということについて少し考えてみたいと思います。
トリミングは、写真をかじったことのある方なら大概やったことがあるでしょう。
特に今はデジタルカメラが主体ですから、PCやスマートフォンで簡単に撮った写真をトリミングで編集することができますし、むしろトリミングが写真編集の入り口となっているかもしれません。
かくいう僕も、意図せず写り込んでしまった邪魔ものをトリミングで排除することもありますし、少し角度を修正することもあります。
トリミングってアプリを使えば簡単に修正できる方法ですし、ついつい使ってしまいがちだと思います。
むしろ積極的に使っておられる方もいるでしょう。
僕の好きな写真家の一人であるアンリ=カルティエ・ブレッソンはトリミングをとても嫌っていました。
彼は報道写真家であり、自分の撮った写真を、雑誌側が意図的にトリミングすることで事実を曲げてしまうことがあったからです。
なので、彼はトリミングしていないという証拠に写真の周りを細い黒縁で囲むという加工をしていました。
それが、自分の撮った写真の正当性の証拠だったんですね。
トリミングをしない(写真に過度な加工自体をしない)ということは今でも報道写真の世界では当然のことで、世界報道写真コンテストでは、完成した写真と一緒にRAWデータも提出することで、Photoshopなどで加工がなされたかどうかをチェックしています。
これは、報道写真であるがゆえに、結果的か意図的かを問わず事実を曲げてしまっているような写真は認められないということだと思います。
実際、過去のコンテストでは最終選考の一歩手前まで残った写真の20%が、過度の加工を施していたために失格となったことがあります。(もちろんこれにはトリミング以外のいろいろな加工が含まれます)
先ほど紹介したブレッソンはトリミングしないということを信条としていたんですが、実はその作品の中で2枚がトリミングされていたということをブレッソン財団が2007年に公表しています。
そのうちの一枚が、「決定的瞬間」という有名な写真集の表紙になっている「水溜りを飛ぶ男」なんですね。
まあこれはフレームの左側に入っている鉄柵をトリミングで消してモチーフを強調したというものなので、事実を曲げているような強いものではないんですが、それでもあのブレッソンもトリミングしていたのかと思うとなんだか感無量です。
ただ、あれだけの多くの作品を残したブレッソンがトリミングしたものがたった2枚ということも、逆に言えばスゴ過ぎるとも言えますね。
愛用のライカでその場の瞬間を的確にフレーミングする技は職人芸というか神技ですね。
報道写真家でもないアマチュアでもそういう姿勢は見習いたいなあと思うんです。
さて、そうは言うもののブレッソンのように決定的瞬間をビシッと押さえきれないアマチュアにとって、実際はトリミングは仕上げの際に必要に応じて使っていくことはいいことだと思います。
トリミングによって構図を整える、モチーフを強調するなどということは、便利に写真が楽しめる現在においては積極的に取り入れていい技術です。
ただ、そのためには整った構図をイメージできること、撮る段階から自分が意図してフレーミングを決めておくことが当然大切になります。
でないと、なんでもかんでもトリミングで、と言うわけにはいかないからです。
そう考えると、やっぱりトリミングって最後の手段、と考えるのがいいかもしれませんね(笑)